◾️マオリの言葉🌏Turangawaewae
ニュージーランドの先住民マオリには、
『turangawaewae(トゥーランガワエワエ)』という言葉がある。
直訳すると「足を置く場所」、そして「自分が属していると感じられる場所」。
これは単なる土地のことではなく、
「ここが自分の居場所だ」と身体が自然に受け入れる感覚を意味する。
自分の存在を言葉や情報ではなく、
足の裏で感じること。
マオリの人々がずっと大切にしてきた、静かな身体感覚だ。
◾️都会で忘れていた「地面」の感覚🏙️
なんとなく靴を脱ぎ、ランドローバーのタイヤに立った。
ゴムの冷たさ、砂のざらつき、ほんの少しの湿った空気。
足の裏が久しぶりに、「地面」を読み取った瞬間だった。
長い間、「地面」の感覚を忘れていた。
アスファルトの道や駅のホーム。
靴を履いた足は「歩いている」ことを知っているのに、
その下の温度や質感までは伝えてくれはしない。
◾️裸足のままで開くルーフテント🏕️
FELDON SHELTERのルーフテントを開けるときも裸足のままだった。
そのとき気づいたことがある。
道具を使っているというより、
道具と体が自然に調和しているということ。
靴を脱ぐだけで、
空気の輪郭や温度が変わった。
地面を踏む足が、「ここが自分の居場所だ」と教えてくれていた。
◾️日本人の記憶にも残る、素足の感覚🎋
日本にもかつては裸足で過ごす風景があった。
田植えをする泥の感触や、縁側に立つときの木の温もり。
実は、私たちの身体はその感覚を覚えている。
ただ、忙しさや靴に隠れていただけ。
素足で立ったとき、足裏が自然と「ここだ」と言ってくれる。
◾️裸足で立つ、はじめの一歩🦶🌱
難しく考えなくていい。
気が向いたら、靴を脱いで、草の上に立ってみてほしい。
足の裏で感じる温度、湿り気、地面の柔らかさ。
それだけで、景色がいつもより少しだけ近くなる。
靴を脱ぐだけで、
足裏が「自分の居場所」を教えてくれる。
Turangawaewae(トゥーランガワエワエ)。
自然とのつながりは、そんなシンプルな入口から始まる。🌿🦶
@photo by FELDON SHELTER